坂本龍馬の神戸海軍操練所時代の出来事を綴る「面舵いっぱーい〜龍馬と操練所」
第6回目です。いよいよ、本編のクライマックスに向かいます。

 操練所運営に暗雲が漂う中でも、相変わらず東奔西走する龍馬。大きな人物との最初の出会いもこの時期だった。

◆大きくたたけば大きく響く◆
 元治元年8月3日、龍馬は薩摩藩士吉井幸輔とともに、神戸から京都に向かう。この後、8月中頃に、西郷隆盛と面会したものと考えられている。勝海舟語録「氷川清話」に、その時の内容が記されている。

・・・『坂本竜馬が、かつておれに「先生はしばしば西郷の人物を賞せられるから、拙者もいって会ってくるにより添え書きをくれ」といったから、さっそく書いてやったが、その後、坂本が帰ってきていうには、「なるほど西郷というやつは、わからぬやつだ。少したたけば少しく響き、大きくたたけば大きく響く。もしバカなら大きなバカで、利口なら大きな利口だろう」といったが、坂本もなかなか鑑識のあるやつだよ。』 

 面会して何を話し合ったのかは、定かになっていない。単なる面会だったかもしれないが、この龍馬の西郷評に興味を持った海舟は、9月に西郷と初めて会うことになる。西郷は、海舟と会った後「ひどく惚れ申し候」と海舟を絶賛した。この2つの面会で、海舟・龍馬と薩摩藩とのホットラインが出来たのだ。このホットラインが、今後の明治維新までの各々の局面での重大な役割を担っていくことになる。

◆お初のこと◆
 前回、龍馬は操練所時代の元治元年春に後の妻お龍さんと出会い、祝言を挙げるまでに至ったことを書いた。ただし・・・。その頃、神戸でも次のようなエピソードが残されている。
 当時、龍馬は29歳。操練所に血気盛んな連中があつまる中でリーダでもあった龍馬は、当然仲間を引き連れて、遊びにも行った。操練所の書生寮から歩いて20分くらいの所に、兵庫柳原(今の神戸市兵庫区)の花街があった。 ここの料亭「西屋」が、龍馬ひいきの店だったらしい。酒を飲みながら、仲間と時勢を語り合ったりした。そして、柳原の芸者小吉をとてもひいきにした。この小吉の本名は「おはつ(初)」であるが、彼女にこんな唄を贈っている。

『雨に ほころぶ はつ山桜 咲いた心を 知らせたい』

 お初を美しい山桜にたとえて、龍馬が抱いた恋心を伝えたい・・というような内容だろうか。
仲が良かったらしい。京都にお龍という人がいながら・・・。現代であれば、訴訟問題が持ち上がるかもしれないが、当時の武士としては珍しいことではなかった。龍馬もすみに置けない人物だった。

◆幕府の内糺(うちただし)◆
 神戸海軍操練所に所属していた土佐藩士望月亀弥太が、池田屋事件で命を落とし、幕府から「勝は、神戸で幕府の機関を使って尊攘の志士をかくまっている」と嫌疑をかけられた話は、前号で述べた。
 龍馬の甥である高松太郎が、海舟の命令で観光丸乗組員用の毛布を外国商人から購入したが、これがまた幕府からにらまれた。池田屋事件の直後に起きた禁門の変で負傷した、長州藩士らを保護するものだ・・・と疑うのである。
 「氷川清話」で海舟も当時を振り返って次のようなことを述べている。

『幕府の役人からは、勝は海軍を起こし、地所を買い入れて、薩州のあばれものや、諸藩の浪人を集めて、そして彼らもまた喜んで勝に服しているというのは、何かわけがあるのであろうとひどく憎まれて・・。』

 とうとう9月中頃に幕府による内糺(うちただし)が行われた。いわゆる塾生などの素行調査である。操練所に幕府のメスが入ってきた。


- - - 続く(次号は最終回) - - -


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