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2008.11.18
面舵いっぱーい〜龍馬と操練所〜<その4>
坂本龍馬の神戸海軍操練所時代の出来事を綴る「面舵いっぱーい〜龍馬と操練所」
第4回目
元治元年春、神戸海軍操練所が開校します。
◆神戸海軍操練所開校◆
約1年間かけて建設された神戸海軍操練所が、元治元年春に完成した。5月14日に勝海舟は、軍艦奉行に昇格し、その2週間後の29日に幕府は塾生の募集を始めたのである。
募集要項が西日本各地に配布されたが、その内容を現代語で示すと次の通りだ。
「このたび、海軍術を大いに学ぶ為に神戸に海軍操練所なるものを建設しました。京阪、奈良、堺、伏見に住む旗本の御家人や子弟はもちろんのこと、四国、九州、中国までの各藩の家来に到るまで、有志は参加し修行をしてください。成績の優秀な生徒は幕府に勤めることも可能です。・・」
特筆すべきことは、神戸海軍操練所は幕府の機関ながら、諸藩の有志まで門戸を開き募集をしたことである。親藩だろうが外様だろうが関係なく、有能な人物はだれでも勉強できる環境であった。勝海舟の広い視野が、この募集要項にも生かされたのである。
ちなみに、神戸海軍操練所は、西日本から募集をした。これは、東日本には、江戸築地に同じような海軍操練所があったからだ。西の神戸、東の築地。両港で、海軍士官の養成が行なわれた。
◆操練所のメンバー◆
前回(第3回)でも記載したが、操練所の人員は約200人だったと言われている。ではどんなメンバーだったのか。詳細は不明であるが、わかる範囲で記載してみる。
なかなかの兵ぞろいだったことがわかる。龍馬初め海援隊を支えた土佐藩士たち、後の外務大臣伊達小次郎(陸奥宗光)、日清戦争の司令官伊東祐亨など、後に日本を背に活躍する人物がたくさん、この神戸海軍操練所から輩出されていった。
【頭取】
肥田浜五郎(前翔鳳丸船将)
【教授方】
赤松左京、西川寸四郎、佐藤與之助
【修行生】
土佐藩:坂本龍馬、高松太郎、千屋寅之助、近藤長次郎、新宮馬之助、望月亀弥太、安岡金馬、沢村惣之丞
長岡藩:鵜殿豊之進
紀州藩:伊達小次郎(陸奥宗光)、田中長次郎など24名
越前藩:野村才吉など10名
津山藩:植原六郎左衛門、道家帰一
因州藩:黒木小太郎、中井範五郎、近藤親類蔵など9名
津軽藩:工藤菊之助
三田藩:前田又太郎
姫路藩:河合伝十郎
肥後藩:横井左平太、横井忠平、岩男内蔵充など7名
薩摩藩:伊東祐亨、堀基、池田次郎兵衛など21名
◆操練所での授業◆
では、この塾生たちは何を勉強したのだろうか。
航海術はもちろんのこと、船の修繕も必要であり機械工学も学んだようだ。航海術も、机上や練習だけでなく、実際に人や荷物を運搬したらしい。その収益は操練所運営資金とされた。
また、大阪湾周辺の砲台の建設にも借り出された実績があることから、建築学や兵学も学んだのであろう。
更に史料として、神戸海軍操練所の判が押してある英語の書物が残されており、英語も勉強していたとされている。
後に、龍馬率いる海援隊は、「和英通韻以呂波便覧」なる英語の教科書を発行しているが、操練所で学んだ知識を生かしたものかもしれない。
以上の通り、多種・多様の勉強が、操練所の中で行なわれたようである。操練所の修行生は、身分の違いはあるものの、エリート集団だったことがわかる。
- - - 続く - - -
第4回目
元治元年春、神戸海軍操練所が開校します。
◆神戸海軍操練所開校◆
約1年間かけて建設された神戸海軍操練所が、元治元年春に完成した。5月14日に勝海舟は、軍艦奉行に昇格し、その2週間後の29日に幕府は塾生の募集を始めたのである。
募集要項が西日本各地に配布されたが、その内容を現代語で示すと次の通りだ。
「このたび、海軍術を大いに学ぶ為に神戸に海軍操練所なるものを建設しました。京阪、奈良、堺、伏見に住む旗本の御家人や子弟はもちろんのこと、四国、九州、中国までの各藩の家来に到るまで、有志は参加し修行をしてください。成績の優秀な生徒は幕府に勤めることも可能です。・・」
特筆すべきことは、神戸海軍操練所は幕府の機関ながら、諸藩の有志まで門戸を開き募集をしたことである。親藩だろうが外様だろうが関係なく、有能な人物はだれでも勉強できる環境であった。勝海舟の広い視野が、この募集要項にも生かされたのである。
ちなみに、神戸海軍操練所は、西日本から募集をした。これは、東日本には、江戸築地に同じような海軍操練所があったからだ。西の神戸、東の築地。両港で、海軍士官の養成が行なわれた。
◆操練所のメンバー◆
前回(第3回)でも記載したが、操練所の人員は約200人だったと言われている。ではどんなメンバーだったのか。詳細は不明であるが、わかる範囲で記載してみる。
なかなかの兵ぞろいだったことがわかる。龍馬初め海援隊を支えた土佐藩士たち、後の外務大臣伊達小次郎(陸奥宗光)、日清戦争の司令官伊東祐亨など、後に日本を背に活躍する人物がたくさん、この神戸海軍操練所から輩出されていった。
【頭取】
肥田浜五郎(前翔鳳丸船将)
【教授方】
赤松左京、西川寸四郎、佐藤與之助
【修行生】
土佐藩:坂本龍馬、高松太郎、千屋寅之助、近藤長次郎、新宮馬之助、望月亀弥太、安岡金馬、沢村惣之丞
長岡藩:鵜殿豊之進
紀州藩:伊達小次郎(陸奥宗光)、田中長次郎など24名
越前藩:野村才吉など10名
津山藩:植原六郎左衛門、道家帰一
因州藩:黒木小太郎、中井範五郎、近藤親類蔵など9名
津軽藩:工藤菊之助
三田藩:前田又太郎
姫路藩:河合伝十郎
肥後藩:横井左平太、横井忠平、岩男内蔵充など7名
薩摩藩:伊東祐亨、堀基、池田次郎兵衛など21名
◆操練所での授業◆
では、この塾生たちは何を勉強したのだろうか。
航海術はもちろんのこと、船の修繕も必要であり機械工学も学んだようだ。航海術も、机上や練習だけでなく、実際に人や荷物を運搬したらしい。その収益は操練所運営資金とされた。
また、大阪湾周辺の砲台の建設にも借り出された実績があることから、建築学や兵学も学んだのであろう。
更に史料として、神戸海軍操練所の判が押してある英語の書物が残されており、英語も勉強していたとされている。
後に、龍馬率いる海援隊は、「和英通韻以呂波便覧」なる英語の教科書を発行しているが、操練所で学んだ知識を生かしたものかもしれない。
以上の通り、多種・多様の勉強が、操練所の中で行なわれたようである。操練所の修行生は、身分の違いはあるものの、エリート集団だったことがわかる。
- - - 続く - - -
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