今年の秋から、いよいよNHKスペシャル大河ドラマ司馬遼太郎原作の『坂の上の雲』が始まります。
NHKが、威信を掛けて、3年がかりで製作し、さらに3年掛けて放映するという、かつて無かった規模のドラマになるそうです。

 なぜ、ここまでして、この小説がドラマ化されるのか、今の我々にとって、この小説からどんなことが得られるのか、これから少しずつではありますが、考えてみたいと思っています。

 「坂の上の雲」は、伊予松山出身の秋山好古・秋山真之兄弟、正岡子規の3人を主人公とし、明治期の後半に勃発した、日露戦争を主な舞台とした小説です。
主人公の秋山好古・秋山真之兄弟は、日露戦争で名を残した名軍人ではありますが、それほど多くの人に知られた人物ではありません。正岡子規も、俳句界では非常に有名な人物ですが、日本の歴史を変えた人物か?と問われると、そこまでの人物では無いかもしれません。

 歴史上の有名な人物を中心とした大河ドラマがほとんどの中、なぜそれほど名が通っている訳でもない人物が主人公の大河ドラマが作られるのでしょうか?

これは、この小説の題名「坂の上の雲」に集約されているのではないかと思っています。

 江戸時代という、世界から閉ざされた世の中から一変、維新を介して新しい時に突入した明治時代。
とにかく、欧米に追いつこうと。追いつけば新たな未来がやってくると信じて、必死に突っ走った時代でした。
 明治という時代の地から見上げた空には、欧米という 「雲」 がたなびいています。
その雲に向かって 「坂」 が、伸びている。
この「坂」の先にある「雲」に向かって、必死に駆け上がる若者の姿を描いた物語が、「坂の上の雲」だと感じています。
秋山兄弟、正岡子規には、失礼ではありますが、この小説には、主人公の功績は、それほど関係ないのかもしれません。それより、簡単に書くと「明治という、混迷の時代を生きた、普通の人たちの思い。」が、「坂の上の雲」に刻み込まれているのだと思います。

 「戦争」を題材にした非常に際どい物語ではありますが、大河ドラマは、きっと明治の人々のモチベーションの高さを伝え、今を生きる我々に参考になるメッセージを、与えてくれるのではないかと思っています。


「坂の上の雲」豆情報

愛媛県松山市では、色々な「坂の上の雲」の関連施設、イベントなどがあります。
その1例ですが、なんと松山では、「雲」の形をしているオートバイのナンバープレートを選べるそうです。
街で見かけたときは、得をした気分になります。
↓こんな、ナンバープレート
http://www.city.matsuyama.ehime.jp/shminzei/1180925_904.html
... 続きを読む
皆様、大変ご無沙汰しております。
数ヶ月ぶりの新規記事となります。
少し、季節が遅れましたが、龍馬が藤の花に関する詠草を
残していますので、紹介いたします。

〜竜馬のうた〜
第4回目。


(淀川をさかのぼりて)
藤の花
今をさかりと
咲つれど
船急がれて
見返りもせず


【平尾道雄著 龍馬のすべて より】

この詠草の情景は、非常に分かりやすいです。


「龍馬は、淀川(大阪)を船に乗って上っている。
すると、川岸に薄紫色の藤の花が、きれいに咲いているのが見えて来た。
ただ、龍馬は先を急いでいるために、藤の花を横目では見るものの、
振り返って眺めることはせず、行く先の前方を見つめている。」


というような、情景を思い浮かべることが出来ます。

藤の花は、今の暦で4月下旬から5月初旬にかけて咲く花です。花言葉は、
「恋に酔う」。藤の花の高貴な姿は、多くの歌人が題材にしています。
この詠草について、「龍馬の哀愁を感じる」旨の解説をされている先生方もいらっしゃる
ようです。これは、志半ばで無念のうちに、この世を去った龍馬を思ってのことだと考えます。
ただ、この詠草を詠んだ時点での、本来の龍馬の気持ちはどうだったのでしょう?
筆者には、力強い龍馬の意思が伝わって来ます。

 いつ頃に詠われたものなのでしょうか?「淀川をさかのぼりて」ということは、大阪
から京都に移動している時に詠んだものだと考えて良いでしょう。
藤の花が咲く季節に、大阪から京都に向かった記録があります。
文久3年4月初旬、龍馬は大阪で幕臣大目付の大久保一翁と面会し、
その後大久保の書状を持って、越前福井藩主の松平春嶽と面会するために、
京都に向かっています。
(元治元年・慶応年間の同時期には、大阪には足を踏み入れていない模様です。)
恐らくこのときに、詠んだものではないでしょうか。

 文久3年の春といえば、前の年に勝海舟の門下生となり、これから歩むべき道の
視野が開けてきた頃です。3月末に、乙女姉に対して、勝海舟の門下生となったことを
自慢する手紙を出した直後の出来事ですから、それは意気揚々とした龍馬を想像せずには
いられません。そしてこの後、4月末に公卿である姉小路公知の大阪湾視察の案内、5月
には福井へ松平春嶽を訪問し、神戸海軍塾設立資金の調達を行うなど、大きな仕事をこ
なして行きます。
 そうです、この詠草は、
京都に向かう船上から、川岸の藤の花が見えたものの

「藤の花を見返って、上品なうたをのんびり詠んじゅう暇なんかない。
わしには、やりよらんといかん大事な事が、こじゃんと(沢山)ある。」

と希望に満ちた思いを詠ったものだと思うのです。艶やかな藤の花を逆手に取った詠草。
これもまた印象的な、竜馬のうたです。


 World Baseball Classicも大詰めとなってきました。
大変盛り上がっていますね。今の日本で唯一の明るいニュースかもしれません。
準決勝まで進んだ日本は、2回連続の世界一まで、あと2勝。投手陣の安定感は、全チームの中でも随一なので、何とか打線に踏ん張ってもらって、頑張ってほしいですね。日本に明るい話題をお願いします。

 次は、今更の余談になってしまいますが、日本チームの愛称の「SAMURAI(侍) JAPAN」、今回突然出てきて、唐突な印象を拭えませんね。「侍」というのも、すでに他の競技の日本代表の愛称であったりして、新鮮味に欠けます。
 通常、このような愛称は、一般公募であったり、ファンから自然に生まれてきたりするものですが、今回の場合はNPB(日本野球機構)の発案だそうです。前回のWBCでは「王JAPAN」と呼ばれていましたし、記憶に新しい北京オリンピックでは「星野JAPAN」でした。原監督に決まってから、この愛称が出てきたようですが、「原JAPAN」では、原監督の荷が重すぎるとの判断があったのかもしれませんね。
でも、原監督は、巨人においてでもそうですが、実力はある一方、個性が強すぎて一つ間違えればバラバラになりかねない選手達をうまく纏めて、良い成績を残しています。王監督や星野監督から比べると、カリスマ性は劣りますが、組織の長としての能力には長けている方なのだろうと思います。


 皆さんは、「SAMURAI JAPAN」のロゴをたことがあるでしょうか。
↓ロゴの写真
http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2008/11/13/16.html

 武士がバットを手に持って、たたずむシルエット・・・。これも何となく迫力の無さを感じてしまいます。袴姿であることはわかりますが、上半身は、長着だけでしょうか。道場での稽古が終わった武士のシルエットのような・・・武士として戦場で戦う姿にしては、軽装で迫力がないですね。甲冑くらいは付けてほしかったです。

〜竜馬のうた〜
第3回目です。

(父母の霊を祭りて)
かぞいろの
魂やきませと
古里の
雲井の空を
仰ぐ今日哉


【反魂香 より】

 この竜馬のうたを もう少し解りやすく書くと
「かぞいろの 魂(たま)や来ませと ふるさとの 雲井の空を あおぐ今日なり」
となります。

 ちょっと読んだだけでは、龍馬が何を題材にして、この歌を作ったのか直ぐには判りませんね。
この歌には、現代ではほとんど使われることの無くなった、少し難しい単語がいくつか使われています。単語の意味を確認しながら、龍馬の思いを推測して行きます。

「かぞいろ」・・・これは、父母、両親を意味します。日本書紀などにも使われている古い言葉です。和歌には良く使われるようですね。

「魂やきませと」・・・亡くなった方の「魂(たましい)よ、私のところへ来てください。」と祈っている情景を示します。

「雲井の空」・・・雲井とは雲居のことですね。秋の空の様な、雲がとても高い晴天の空をこう呼びます。

 これでだいぶ理解が深まりました。
この歌の情景をまとめる前に、少しこの歌の出所を説明します。

 この歌は、お龍さんの晩年の回顧録『反魂香』(明治32年発行)に載っており、「龍馬がこんなうたをうたった。」ということで、紹介されています。
 『反魂香』とは、海援隊士であった安岡金馬の息子である安岡重雄さんが、明治30年に横須賀のお龍さん宅を一升瓶を必ず持って何度も訪ね、酒を飲みながら幕末当時の話を聞いたものを記事にしたものです。
お龍さんの記憶力は、相当なもので、40年近く前に、龍馬が残した歌を覚えていたのです。龍馬を愛する気持ちは、龍馬没後40年経っても全く衰えなかったのでしょう。

 この反魂録を参考にして、この歌の内容を解説すると、以下のようになります。
 慶応3年のお盆(8月16日)に龍馬とお龍さんは、長崎の小曽根邸(亀山社中を経済的にバックアップした豪商。)の奥座敷で、お龍さんの父楢崎将作と、龍馬の父八平と母幸を祭りました。
龍馬は屋敷の外に出て、雲の高い初秋の空を仰ぎながら、土佐で両親と一緒に過ごした、短かった時間を思い出したのだと思います。

「この長崎の空は土佐にも続いちょる。八平父さん、幸母さん、俺のところへもたまには来て、そして俺を見守ってくれ。」とつぶやいたのかもしれません。

両親を、そしてふるさとを思う龍馬の心を垣間見ることが出来る、〜竜馬のうた〜でした。


〜竜馬のうた〜
第2回目です。

もうすぐ3月。少しずつですが、春が近づいてきていますね。
早春にふさわしい、龍馬の詠草をご紹介します。

心から
のどけくもあるか
野べハなを
雪げながらの
春風ぞふく


【印藤肇宛 坂本龍馬書簡(慶応3年3月6日付)より】

 この歌は、現存する龍馬の書簡(手紙)に載っているものです。手紙の宛先は、長府藩士の印藤肇(いんどう はじめ)。
手紙を書いた慶応3年3月は、大洲藩の船“いろは丸”を借り受け、運輸業を開始する準備がまとまりつつあった頃です。もともとこの手紙は、印藤に“いろは丸”を借りるための借金を申し出る内容のものでした。ただ借金話で手紙を終えるのはバツが悪かったのか?、追伸として「最近、歌会が催されて自分が詠んだ歌が二席(2番)に入選しました。」ということで、この歌を記しているのです。

 歌会が催されたのは、龍馬を経済的に支援している伊藤助太夫(いとう すけだゆう)の下関の邸宅でした。伊藤邸は、龍馬が「自然堂(じねんどう)」と名づけ、活動の拠点としていた場所です。このころ、お龍さんも下関に連れてきているので、一緒に歌会に出席したでしょう。つかのまの夫婦生活でのイベントだったことが想像できます。

では、うたの内容を解読してみましょう。

「のどけく」・・・静かで穏やかな様子を示します。

「野べハなを」・・・「野辺は、なお」と書き換えるとわかりやすいと思います。「野辺」は野原のことですね。

「なお」は「尚」で、「相変わらず」「いぜんとして」という意味ですが、次の句の「雪げながらの」にかかります。

「雪げながらの」・・・「雪景色であるが」という意味ですね。

では、全体を訳してみると次のようになります。

「とても静かで穏やかな野原は、まだ相変わらず雪景色だ。 しかし、春の風はもう吹きつつある。もうすぐ春だ。」

 これまた、風情のあるうたですね。見た目はまだ冬でも、少しずつ少しずつですが、春が訪れてきているのを龍馬は肌で感じ取っているのですね。とても和やかな気持ちになる歌です。

 この初春の情景を見事にまとめた歌ですが、季節だけではなくて、もう少し当時の龍馬の気持ちが込められているのではないかと感じています。
上にも書きましたが、ちょうどこの頃、大洲藩から、“いろは丸”を借り受ける手はずが整いかけていました。これまで長州藩から借り受けた、“ユニオン号”での事業も長続きせず、仕事も無くなってしまい、どん底の状態でした。
そこでやっと事業再生のチャンスが、到来してきたのです。まさに、事業にとっても寒かった冬から、春の到来を感じる時期だったのかもしれません。
季節の春の到来と、事業での春の到来・・・両者を掛け合わせた上手さが、2番入選の理由だったのかもしれません。